大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌地方裁判所 昭和47年(わ)10号 判決

主文

被告人を禁錮一年に処する。

訴訟費用中、証人熊倉康司、同佐々木良祐、同嘉多山擴、同板東嘉治、同佐々木治夫に支給した分は、いずれも被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一、昭和四六年一二月二八日午後一〇時一五分ころ、札幌市手稲山口九二番地付近道路において、酒に酔い正常な運転をすることができないおそれがある状態で普通乗用自動車を運転した、

第二、自動車運転の業務に従事するものであるところ、前記日時場所において前記自動車を運転して手稲山方面から石狩町方面に向かい時速約五〇キロメートルで進行中、自動車運転者としては、進路の前方を十分注視しその安全を確認しながら進行すべき業務上の注意義務があるのに、運転開始前に飲んだ酒の酔いのため注意力が散漫になつていたことに加え、夜間で交通量が少なかつたことに気をゆるしていたためにこれを怠り、前方注視を欠いたまま道路左側端より漫然と同一速度で進行した過失により、折から自車の進路上を同一方向に歩行中の寒河江陽造(当時三二年)を、警音器を吹鳴しあるいはハンドルを転把するなどして衝突を未然に回避しうる地点まで発見することができず、直前に至つて漸く発見して急制動の措置をとつたが間にあわず、自車左前部を同人に衝突させ、よつて同人を頭蓋骨骨折による広範囲脳挫滅により、同時刻ころ死亡するに至らしめた。

ものである。

(証拠の標目)略

(被告人の弁解を採用しなかつた理由について)

第一  の事実について

前掲各証拠によつて認められる被告人の飲酒量、健康状態、飲酒から事件発生に至るまでの時間、事故後の態度、振舞、酒酔い鑑識の結果およびつぎにみるような事件の発生状況などの諸事情を総合すれば、被告人が酒に酔い正常な運転ができないおそれのある状態にあつたことはあきらかである。

第二の事実につき

(1)  被告人の弁解の要旨は、被告人は、道路の左側端から約2.7メートルのところを時速約五〇キロメートルで進行中、約28.4メートル前方に被害者を発見したときは、同人の位置が道路左側端から約1.7メートルぐらいであつたので十分にその右脇を通りぬけることができると考えていたが、約14.1メートルまで接近したとき被害者が道路中央よりにふらふらと出て来たので急制動の措置をとるとともにハンドルを右に切つたが間にあわず道路の中央付近すなわち左側端から約3.4メートルのところで衝突したもので、事故の主たる原因は被害者にあるという趣旨のものである。

そして、甲2号証の実況見分調書には、ほぼ被告人の弁解にそう事故状況が記載されているが、右実況見分調書は、それ自体としてみても、「危険を感じた地点」や「急停車の措置をした地点」がそこに表示されているスリップ痕の印象状況したがつてそれ以前の自動車の空走距離というものを無視したものとなつているうえ、「衝突地点」や「最初に相手方を発見した地点」も当時の時速と路面状況から考えられる制動距離および人間がふらふらと道路の中央付近まで出て来る場合の移動の速度との関係からみて辻つまがあわないもので、そのままでは、本件事故の発生状況を基礎づける証拠とはなしがたいものである。もつとも、甲2号証の実況見分調書の作成経過について、被告人は、現場においてスリップ痕や流血の跡などを勘案してまず「衝突地点」をきめ、これとの関係で「最初に相手方を発見した地点」や「危険を感じた地点」を確定し、それらの間の距離を測定した結果、前述のような28.4メートルとか14.1メートルという数字が出て来たもので、衝突地点いかんによつては右の各地点も全体として移動する余地はあるが、右の距離自体に誤まりはない旨の供述をしている(第六回および第七回公判期日)。

(2)  そこで、本件では、衝突地点がどこかを確定することが重要な問題となるが、手はじめとして、スリップ痕の印象状況すなわちその長さや位置関係が実際にはどうであつたかをみるに、証人佐々木治夫の証言と甲33号証の実況見分調書によれば、本件の事故現場には、二条のスリップ痕が国道よりにある電柱とほぼ平行した地点から進行方向やや道路中央よりに向かつてほぼ直線的に印象されており、その長さは約一九ないし二〇メートル、道路左側端からの距離に始点部分において約一ないし1.5メートル(この違いは道路左側の積雪部分が直線的でないことによる)、終点部分において約三メートルであつたことが認められる。被告人の弁解にそう甲2号証の実況見分調書にもスリップ痕の存在することが表示されているのがその長さや位置関係についてはなんらの記載もないうえ、その基礎となつた実況見分自体が事故発生から約一〇時間後になされているのに対し、甲33号証の実況見分調書は、距離関係に不分明な部分があるとはいえ、事故発生から約一時間後になされた実況見分の結果を記載したもので、その作成経過からみて、右のようなスリップ痕の長さおよび位置関係そのものには誤まりはないというべきである。

(3)  そして、被告人が事故現場にさしかかつたときの時速は約五〇キロメートルであつたというのであるから、その場合の空走距離から推算して、被告人は右に認定したスリップ痕の開始地点から約10.4ないし13.9メートル手前の地点ですでになんらかの危険――被告人のいうところによれば、被害者がふらふらと道路中央よりに出て来たとの事実――を発見していることになり、これは、本件において被告人が「危険を感じた地点」に該当するものとして動かしえないところである。

ところで、被告人の「危険を感じた地点」から「衝突地点」までは約14.1メートルであつて、その距離自体に誤まりはないと述べていることはさきにみたところであるが、この数字を右に認定した「危険を感じた地点」をもとにしてあてはめてみると、ここから14.1メートルの地点は、スリップ痕の開始地点から約0.2ないし3.7メートル進行したところということになり、被告人の述べている数字を基礎とするかぎり、この地点が実際の衝突地点という結論になる。もとより、これは数字的にみたにとどまるものであるが、衝突地点が被告人の弁解どおりとした場合にはつぎに述べるような多くの問題があり、実際の衝突地点がスリップ痕の開始地点から約0.2ないし3.7メートル進行した地点であるという右の結論は、実質的にも理由のあるところと考えられる。

以下、この点を敷衍してみることにする。

(4)  まず、被告人の弁解するところによると、右のように危険を感じて急制動の措置をとつたが間にあわず、甲2号証の実況見分調書に記載してあるように国道方向よりにある電柱から約16.7メートル前方の地点で被害者に衝突してしまつたというのである。ただし、これのみではスリップ痕との関係があきらかでないので、甲33号証の実況見分調書および被告人の当公判廷における供述(第二回)にもとづいて、この衝突地点を右に認定したスリップ痕のうえに求めてみると、その開始地点から約15.5メートル進行した地点に相当することはなる。したがつて、衝突地点が被告人のいうとおりだとすると、被告人はそれから前記の空走距離を加えた約25.9ないし29.4メートル手前の地点で被害者が自己の進路上に出て来て危険な状態であることを発見していたということになる。

しかしながら、被告人が、このように衝突地点から約25.9ないし29.4メートルも手前の段階で被害者が自己の進路上に出て来たのを発見していたとすれば、警音器を吹鳴してこれを避譲させるかあるいはこれと並行してまたは単独にハンドルを転把するなどして衝突を回避する措置をとるべきことは自動車運転者としては当然の義務であつて、しかも、その余裕は十にあつたといわなければならないのである。とくに、被告人のいうところによれば、被害者はふらふらとしている状態で被告人の自動車には気がついていなかつたようだというのであつて、急に飛び出して来たという訳でもないのであるから、警音器の吹鳴は事故防止のもつとも容易かつ適切な方法であつたといつてよく、これにハンドルの転把を併用するならば事故の発生はより確実に防止しえたと考えられるのである。被告人自身、二八メートル前方に歩行者を発見した場合の運転操作について、このことを認める供述をしている(第六回公判期日)。なお、この点につき、被告人の検察官に対する昭和四七年一月六日付供述調書中には、被害者を発見したとき対向車のライトがみえたのでハンドルを急に切ることはできなかつたと述べている部分があるが、発見したときの被害者との距離関係が異なるうえ、被告人の公判廷における供述(第六回公判期日)および前記認定のスリップ痕の印象状況にてらして措信しえない。

ところが、被告人は、危険を発見して急制動の措置をとるとともにハンドルを右に切つたというだけで、みずから認めているように、急制動の前にまず警音器を吹鳴するとかこれと並行してまたは単独にハンドルを転把するべどの措置はとつていないのである。この点について、被告人は、最初に被害者を約28.4メートル前方に発見したときはその右脇を通りぬけることができると考えていたのでとくに右のような措置はとらなかつたと弁解しているが、被告人は、最初に被害者を発見したという地点とほとんど同じ地点で急制動の措置をとつていることは右にみたとおりであるから、かかる弁解はなりたたない。また、このような急制動をかけている地点と当時の被告人車両の前照灯の照射距離から導き出される前方の見通しの可能性を比較すると、急制動の措置をとる以前の段階で、実は安全に通過しえない状況であるのに通過しうると誤認したというような判断の誤まりがあつたともみられない。

そうだとすると、被告人は、十分にその余裕がありかつこれを妨げるべきなんらの事情もないのに、警音器を吹鳴するとかこれと並行または単独にハンドルを転把する措置をとつていないことになるのであつて、このことは、路面が凍結していて滑走しやすい状態であつたにもかかわらず、まず、急制動の措置をとつていることとあわせ考えれば、被告人が被害者を発見したときは、すでに警音器の吹鳴やハンドルを転把する余裕のないほどまでに被告人の自動車が被害者に接近しており、したがつて、衝突地点も被告人のいうところよりは後方にさかのぼり急制動の措置をとつた地点にかなりの程度まで接近したところであるとの見方を可能ならしめる事情たりうるというべきである。

(5)  つぎに、スリップ痕が道路左側端に近いところから中央よりに道路とはやや斜めに印象されていることは前に認定したとおりであつて、これは、被告人が急制動をとるとともにハンバルをやや右に切つたと述べていることと符合するものである。このことは、また、被害者がふらふらと進路上に出て来たのを発見した際、警音器を吹鳴しながらハンドルを右よりに切るというようないわばゆるやかな回避措置ではなく、急制動をかけつつハンドルを右に転把するというかなり急激な回避措置をとつていることを意味する。ところで、このハンドル転把と急制動の措置とのいずれが先かについては、被告人の供述はかならずしも一定していないが、スリップ痕がほぼ直線的で制動の効果が生じたのちにハンドルを転把した形跡がうかがえないこと、ハンドル転把の場合の空走距離も急制動の場合と同様に解されることなどにてらすと、被告人がハンドルを右よりに切つたのは急制動の措置をとるのとほとんど同時とみてよく、したがつて、ハンドル転把の必要を感じた地点は、急制動と同様に、スリップ痕の開始地点から約10.4ないし13.9メートル手前であつて、かつ、被告人のいう衝突地点からは約25.9ないし29.4メートル手前とみて妨げないこととなる。

ところが、右のような事実を前提とすると、被害者が進路上にふらふらと出て来たのでこれを避けるためにハンドルを切つたはずのものが、かえつて、被害者の移動していく方向に向けて逆にこれに衝突させるような形で三角形の一辺を直線的に走行しているという奇妙な結論になるのである。これは、故意に衝突させようとしたがハンドル転把につき判断または操作上の誤まりがある場合でないかぎり考えられないところである。しかも、衝突するまでの距離がすくなくとも約25.9メートル――転把の効果があらわれてからだけでも約15.5メートもあるのに、その間に再転把するなどの措置もとつていないこと、スリップ痕の状況をみても、いつたんハンドルを切つただけでその後はブレーキを踏んだまま惰力のおもむくまま走行していることがうかがわれ、衝突回避のための意図的な走行の軌跡とみるのはいかにも不自然であることにてらすと、ハンドルを右よりに切つたことがすくなくとも25.9メートル前方での衝突を回避するためのものとみることはとうていできないのである。ハンドルの転把につき、故意はもとより、判断または操作上の誤まりがあつたことを疑わせる資料はない。

そして、これらは、被告人が、ハンドルを右よりに切つたときは、すでにこれをしても衝突を避けえない地点まで危険が切迫しており、有効な転把ができない状況にあつたことを推認させる有力な事情というべきである。

(6)  そして、(4)および(5)において詳細に述べた事情を総合すると、被告人が被害者との衝突の危険を感じたときは、警音器の吹鳴やこれと並行または単独のハンドルの転把によつては衝突を避けえないほどまでに被告人の自動車が被害者に接近しており、当時の路面状況や被害者の動静をみきわめる余地もないまま瞬間的に急制動の措置をとるとともにハンドルを切るのが精いつぱいで、それ以外の衝突回避方法をとる余裕はなかつたとみるべく、したがつて、衝突地点も被告人のいうように、スリップ痕の開始地点から約15.5メートルも進んだところではなく、急制動およびハンドル転把の措置をとつた地点にかなり近接したところとみるのがもつとも合理的であり、(3)でみたように、衝突地点がスリップ痕の開始地点から約0.2ないし3.7メートル進行した地点であるという結論は実質的にみても正当というべきである。

(7)  このように、実際の衝突地点が、道路左側端の近くから中央よりに斜めに印象されているスリップ痕の開始部分に近接したところとすると、その左側端からの距離も、被告人のいうように3.4メートルも離れたところではなく、開始部分の左側端からの距離である約1ないし1.5メートルとほとんど同じか若干これをこえたところとみるのが当然の事理ということになる。

被告人は、被害者が道路の中央よりにふらふらと出て来た旨弁解するが、この点に関する被告人の供述自体が起訴の前後でくいちがつているだけでなく、かりに弁解どおりとすると、右に述べたような衝突地点を前提にしてみるかぎり、被告人が衝突の約14.1メートル手前で危険を発見した時点では、被害者の位置は、衝突地点からさらに左側端よりに寄つたところということになつて、通常の歩行範囲を出ていないことになるから、かかる地点での被害者の行動をもつて「道路中央よりにふらふらと出て来た」などと評価することはきわめて不自然というほかない。また、かりに現実に出て来たとしても、それは、前述したような衝突地点をこえることはありえないから、これに本件道路が巾員約九メートルで片側約4.5メートルであることをあわせ考えれば、このことゆえに、とくに被害者を非難するのはあたらない。さらに、本件道路が歩車道の区別のない道路であることから、被害者が道路の左側を歩行していたからといつて、被告人の刑責を左右する事情とはなりえない。

(8)  してみると、本件事故は、被告人が道路の左側端から約1ないし1.5メートルのところを走行中、進路上にいた被害者を急制動の措置をとるとともにハンドルを右に転把したが間にあわないところまで発見できなかつたことによつて惹起されたものとみるのが正当であり(被告人が衝突の約28.4メートル手前の地点で被害者に気づいていたとしても、右のような走行の位置関係からしてひきつづきその動静に注意していたとはいえない)、その原因は、被告人が昭和四七年一月六日付検察官に対する供述調書で述べているように、酒に酔つていたため感覚がにぶつていたことに加え、第六回公判期日において述べているように、まさか歩行者がいるとは思わなかつたことが重なつて、注意力が散漫となり、十分に前方を注視していなかつたことによるとみるほかないのである。

(法令の適用)略 (太田豊)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例